■ 都市にどう生きるか ■

1994.12.10
九州大学教授 竹下輝和

○福岡都心部における人口減少問題
 私たちの住む福岡についてみてみた。従来、福岡も含め日本の都市は、土地
利用が鈍化しているという状態でなく、アジア都市の特徴である、オフィスの横
に住宅があり住宅の横に商業があるという、小さいスケールの単位での土地利
用の重層構造があった。しかしながら、戦後以降の都市化の課程で、商業中心
地をつくり、その周辺にいわゆる都心周辺のベルト地帯をつくり、居住地をつくる
という形で、土地利用が同心円的に鈍化されていく都市構造が戦後50年かかっ
て形成されてきた。現在、福岡市においては、天神と博多駅という二つの核にお
いて商業業務機能の集積が見られる。
 福岡は高々人口120万人程度の都市でありながら、天神のような極めて一等
地的業務地域が形成されており、他の地方都市ではあまり見ることができな
い。半径500メートルの県内であらゆる商業業務機能が入ってしまっている。商
売するのなら天神でといわれるように、高度集積のゾーンをつくっているのであ
る。
 こうした福岡市の都心から居住人口が急激に減少している。都心部における
人口減少は、ロンドンや、ニューヨークなど他の都市でも同様に生じており、大き
な問題として顕在化している。そして、日本でも東京の都心地域といわれている
千代田区・中央区・港区の都心三区からは、ここ20年で約30%も人口が減って
いる。大阪の都心部ではこの20年で18%人口が減少している。福岡は東京ほ
ど厳しくないものの、大阪並みに確実に都心からの人口減少が続いている。
 その福岡の都心における人口減少問題をもう少し詳細に検討してみたい。福
岡と新築全てで〃問題が発生しているわけではない。商業・業務が強くて住居
機能がはじき出されているのが、商業・業務地域の天神と博多駅である。この
天神と博多駅を結ぶラインの西に位置する大名・舞鶴・警固・白金では、住宅更
新が比較的うまくゆき、マンションが建ち、一定量程度の人口が吸収されてい
る。善玉都心地区と読んでいいかどうかわからないが、比較的人口の減少度合
いが少ないエリアが存在している。一方、天神と博多駅を結ぶラインの東側、春
義・住吉・博多部四校区・美野島の一部では、住宅が更新されておらず、非常
に多くの空き地や駐車場が発生する状況が生まれてきている。私はこのエリア
を悪玉都心地区と名づけたい。 →

























続いて、先に悪玉と新築と名づけた大浜地区を事例に人口・世帯の動向を見て
いきたい。大浜地区では、ピーク時には5,600人住んでいた人口が時代とともに
減少している。現在では人工減そのものは鈍化しているものの、減少それ自体
はあまり変わってはいない。こうした大浜地区の人口動向は次の三つの時期に
分けて捉えることができる。まず、昭和35〜45年にかけての、世帯数はあまり
変化してないが人口が減っている時期が第一期である。第一期の人口減少は
世帯あたりの人数の減少が大きな要因となっているものと考えられる。即ち、核
家族化減少あるいは世帯あたりの子どもの人数の減少が、地区の人口動向に
大きな力学として働いた時期である。続いては、昭和45〜55年にかけて、世帯
数の減少とともに人口が減るという非常に大変な変化が起こった第二期であ
る。世帯の転出が人口減少の要因として働いているものと考えられ、人口の減
少幅もこの時期がもっとも大きい。しかしながら、行政も含めて、一方で対策が
何もやられてなかった。自然の成り行きに任せた人口動態であり、一種の自然
崩壊といってよいと思う。「都心定住構想」が議論されるようになったのは平成
に入ってからである。こうした議論がこの第二期の時期に行われていたら、対策
のシナリオもずいぶん変わっていたのではないかと思うが、この時期にはほとん
ど議論されぬまま、ついに次の時代に移って行った。次の第三のタームでは、
世帯が増加しているが、これは明らかに単身世帯の増加である。したがって、
世帯は増えるものの人口は逆に少しずつ減っている。
 各都心地区における昭和55年〜平成2年間の若者数と従業者の数のトレンド
を見てみよう。都心部に人が住まなくても、商業になり業務になり働く人が増え
ていけばよいのではないか、つまり業務が集積したエリアが広がっていけばよ
いのではないかという考え方もあろうかと思う。天神・博多駅地区は、住んでい
る若者数は減少したが、反面働き手も増えている。こうした姿も都市のひとつの
あり方ではある。ところが、例えば大浜地区などは、若者数も大幅に減り、かつ
働き手も増えていない状況にある。大浜地区の様に、若者も減りかつ働く人も
増えず急転落下する姿は、必ずしもほめられたものではない。
 次に、大浜地区の土地利用について簡単に見ていきたい。専用事業所は幹
線道路沿いに立地している。中高層の共同住宅は、街区の角地を中心に地区
内の大きな道路沿いに立地している。大浜地区で特徴的な土地利用は駐車場
である。ほとんどの街区に大きなものから小さなものまで、駐車場的な土地利
用が見られる。特に、那の津道路沿いの大きな宅地は、ほとんど駐車場化され
ている。大浜地区の用途地域は、全地区が商業系の用途地域である。したがっ
て、高度土地利用の可能性に対する過度の期待感によって、土地利用そのも
のが動いていない。 ↓

こうした状況の中で人口が減り、同時に地区がもともと持っていたサービス機能
がどんどん低下していくのである。コミュニティの中で成熟していた店舗などが、
人口の減少とともに経営が難しくなりつぶれていくことによってサービス機能が
著しく低下していく。そして、それがさらに人口減少に拍車をかける。人口減少、
サービス機能の低下が連鎖反応的に起こっているのである。
 次に大浜小学校に通っている家族がどこに住んでいるかを調べてみた。中高
層の共同住宅に子どもを持つ家族が多く住んでいる。人口減少の中で最も懸念
されるのが、健全ファミリーの流出である。健全ファミリーを強調するのは、子ど
もがちゃんと育っているかどうかを示してくれるからである。子どもたちは外で遊
ぶ空間がほとんどない、公園もないし、遊ぶ友達もない、こんな状況で健全ファ
ミリーが住み続けられるかである。こんな子どもをもつ健全なファミリーが都市の
中に住むことを考えると、大浜地区では住宅更新をやったところには、健全ファミ
リーが住んでいるのが一目瞭然で理解できる。したがって、将来のビジョンを考
えたとき、ファミリーが住める住宅づくりをちゃんとやっていくならば都心の人口回
復もその可能性が高くなるのではないかと考えられる。

○都市における住宅づくりの試み
 では、どうすれば都市の中に住宅をつくることができるのかということについ
て、近年アメリカで行われている取り組みを紹介したい。現在、いずれの都市で
も都市に住宅をつくることが非常に難しくなってきている。市場論理の中で住宅
をつくれば、高額な家賃あるいは分譲価格になり、庶民は住めたものではない。
端的な例を挙げると福岡市役所の職員の大部分の方々は福岡市に住めない
し、実際住んでいらっしゃらない。市役所の職員が住めないということだから、福
岡市というのは金持ちしか住めない街になっている。
 こうした中で最近注目されている住宅のつくり方がある。アメリカで行われてい
る、コミュニティ開発法人の組織による住宅づくりである。アメリカでコミュニティ
開発法人はすでに1960年代にスタートしている。コミュニティ開発法人が供給し
た住宅は、1980年代においては全米で年間に3,000から5,000戸であるが、
1991年度の調査では年間30,000戸とかなりの量を供給している。日本の住宅
都市整備公団の住宅の供給量が年に1万戸程度であるので、住宅都市整備公
団の3倍の量を供給していることになる。なお、コミュニティ開発法人は1991年
時点で全米で32万戸の住宅を管理している。 →

























 コミュニティ開発法人の事業で注目すべきは、住宅の供給のみにとどまらず、
コミュニティをつくっていくことを目標としている点にある。住宅をつくって終わりと
いうのが普通行われているハウジングである。しかし、本来は住宅をつくること
は、同時に住宅地を、生活を、街をつくるということである。そこで商売が生ま
れ、働く人が増え、そして全体としての地域社会が生まれるということである。
調べてみるとコミュニティ開発法人は、32万戸の住宅を作ると同時に9万人の
雇用を実現している。したがって、コミュニティ開発法人の事業の中身は、住宅
をつくることはもちろん、雇用機会の創出、職業訓練、さらに、地域社会の福祉
サービスも行っているのである。
 さて、こうした活動を行うには資金が必要となる。資金を得るためには、行政か
らの援助はまず必要となるが、同時に銀行や企業から融資をあるいは資金提
供を受けるのかということが大きな鍵となる。そこでインターミディアリーと呼ば
れている仲介組織が重要な役割を果たす。銀行がとにかく融資、投資をすると
きに、コミュニティハウジングをつくる法人組織がきちんとした組織であるかどう
かという判断をインターミディアリーが行い、最終的にコミュニティ開発法人組織
に投資される。
 ところで、なぜ銀行が非営利団体であるコミュニティ開発法人に投資をしてい
るのかというと、ローカルな銀行がローカルな範囲に地域貢献を義務化する法
律に基づいている。即ち、1977年に制定されたコミュニティ再投資法で自らが
立地するコミュニティに対して銀行が一定額以上の投資を行わなければならな
いという法律である。さらに、コミュニティ開発法人が資金提供を受ける仕組み
は徐々に強化され、1978年にNRC(近隣地域再投資法人)、1986年にコミュ
ニティ開発法人に投資を行った機関に対する税制控除が定められている。こうし
た法制度の整備が大きな武器になり、インターミディアリーが資金を集め、非営
利の団体に対して投資、資金提供をするという構図が、コミュニティ開発法人の
組織なのである。
 また、アメリカでは1990年にアフォーダブル住宅法を制定し、コミュニティ開
発法人が供給する住宅は中堅所得者層が住めるような住宅でなければならな
いという目標を定めた。このアフォーダブルとは即ち手に届く住宅ということで、
中堅所得者層が住める住宅を供給するということである。
 以上の様にアメリカでは、一定の法制度の整備を行いながら、自主的に住宅
をつくろうする組織を育成し、その組織を地元の銀行が融資対象として ↓

いくような姿をつくった。現在私達は、大企業あるいはハウジングメーカーが土地
を探したて建てたマンションを、価格と折り合いがつくところで購入し、隣に誰が
住むともわからない形で住宅を取得していく。大して、っ開発法人の事例は、k組
織が媒介となり、そこに安い資金のもとで、コミュニティを活性化していくような形
で供給し維持された住宅に住むというものである。こうした、非営利団体(NPO)
による住宅づくりはアメリカに限らず、世界的に見られるもので今後の重要な研
究課題である。

○都市に生きる住み方
 最後に、まとめと同時に将来の展望を少し考えたい。今後、都市が居住地とし
て選択される時代が来る。私はこれを居住地選択時代と定義している。これま
で都市は、働く場所として捉えられていた。即ち、雇用都市とか産業都市の概
念である。とにかく働くために人間が、都市に住んでいるという状況が長く続い
た。従来、日本も関東・関西に住むわけではなく、働きに行っていた時代が長く
続いた。今、そういう時代から都市そのものが住む場所として選択される時代に
なってきている。
 アメリカの都市を丹念に見ると、働く場所としての都市ではなく、住みやすい都
市であるとか、住める都市、即ち、雇用都市、産業都市ではなく、居住都市とで
も定義できるような都市が非常に活性化しているという事実に気づく。シリコンバ
レーというコンピューター産業が発展したサンフランシスコのベイエリアの都市群
がある。シリコンバレーが発展したことについてスタンフォード大学があったと
か、飛行場があったとか、メキシコから有能なブルーカラーが確保できたとか、い
ろいろな条件が指摘されている。しかし、シリコンバレーで大きな武器となったの
は、良好な居住環境や、中間所得者層が生活していくうえで必要な質の高い教
育環境なのである。このように居住地として魅力のある都市が産業も発展する
重大なことをこのシリコンバレーの場合は示している。
 そこで、都市が居住地として選択される時代を迎えるとき、福岡市としてどう考
えるのか、博多としてどう考えるのか、というのをまず議論されるべきだと問題提
起したい。博多のもつ歴史性、そして、長い間に築かれてきた開放性と受容性、
また、博多湾を中心とした海の世界と、そして、背振山系に抱かれた山の世界、
こうした自然環境と、歴史によって育まれてきた人間環境が融合する →

























この福岡を居住地選択時代に相応しい都市として脱皮されることが求められて
いるのではないかと考えております。 



1994.12.10
九州大学教授 竹下輝和

しかし、都心居住博多部振興プランができた後でも、ファミリーマンションは増えず、この数年は、異常なまでのワンルームマンション建設ラッシュが続いている。
博多部まちづくり憲章の第一条は、「みんなが楽しく暮らし住み続けられる、定住環境が豊かな博多にしよう。」
いいのか!?、博多部は!?、政治は!?、行政は!?、協働まちづくりは!?、NPO博多まちづくりは!?

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本間義人(まちづくりの原点)

あいさつ文  竹沢尚一郎(地域・家族・コミュニティ)  岡道也(博多部の都市デザイン)  今里滋(市民と行政による協働のまちづくり)