■ 博多部の都市デザイン ■
1994.10.29
九州芸術工科大学助教授 岡道也
 ちづくりを考える上での基本的な軸として、このところ私は二つの内容に注
目しています。一つは「環境の質的向上」ということです。つまり何をもってよい環
境と考えるかということであり、これは環境評価の問題ともいえます。そしてもう一
つは「より多くの参加」で、これは誰が、どのようにすすめるかという、いわば環境
形成の主体の問題と関係しています。
 前者について補足しますと、我々は例えば道路の舗装率とか公園の面積、公
民館や診療所の数などの状況に着目し、そこに生活環境整備に望まれる一定の
水準を設定し、その目標に達するよう努力してきました。とくに、整備目標を数値
で表現することは、整備内容が明快になり、人々の行動指針としてもわかりやす
い方法でした。そのことでわが国の環境整備も大きく前進してきたといえます。
 しかしながら、基礎的な条件整備の段階では、このようなやり方も効果があった
のですが、このところ問題になってきたのは環境整備の質的側面です。例えば公
園を整備するにも、単にそこに公園があるというだけではなく、どのような公園が
望ましいとかといった問題まで踏み込む必要が出てきます。さらに、アメニティとか
景観、地域の個性といったものが最近では多くの人々によって大きな関心ごとに
なっていますが、実はこれらは数量的な表現が非常に難しいのです。となれば、
我々が求める環境整備の目標や内容をどのように表現し、捕らえていったらよい
のか。そこにこれからの「まちづくり」の方向性を考える上での課題があると思わ
れます。
 一方、後者について言えば、より良い環境形成に向けて、誰が主体的にかかわ
っていくかということになります。基礎的条件整備に関しては、確かに多くの場合
では公共事業として進めることになるかもしれません。しかし、ますます多様化
し、高度化する住民のニーズに、公共側のみで対応するのには限界があります。
同時に、本来魅力あるまちづくりには、そこに住む人々がいきいきと生活している
かどうかが問われるてきます。つまりより多くの人の参加の元、それぞれが、それ
ぞれの役割を意識しながら多面的に行動することで、わが町を総合的につくって
いくという視点が重要であると思われます。
 この「環境の質的向上」と「住民参加」は、「まちづくり」を考える上での基本軸と
いえますが、問題はこれらをいかに統合していくかです。気をつけておきたいの
は、これらは意識的に結び付けようと努力しないとうまく合体しないということで
す。
  より多くの人が参加すれば、おのずから良い環境ができるという保証はありま
せん。下手すると、多くの人の参加でお互いの足の引っ張り合いになり、結果的
にはなんとも奇妙な環境形成の方向に進む危険性もあります。一方、環境の質的
側面に関する作業を特定の専門家のみに任せすぎると、一見、美しい町が出現し
たかのようでいて、実際には人々の固有の生活文化が欠落した、味気ない情景
だけが残る恐れもあります。 →
























 て、本日は、「まちづくり」におけるこれからの二つの基本軸を意識しながら
も、特に前者にあたる「環境の質的向上」について、少しお話してみたいと思いま
す。
 本日、私がいただいたテーマは「博多部の都市デザイン」ということです。そこ
で、まず「都市デザインとは何か」について若干触れておきます。
 「都市デザイン(都市設計)」とは、簡単に言えば都市空間のデザインということ
になりますが、1960年代以降、世界的に注目されてきた領域といえます。やや専
門的な表現をとれば「都市計画と表裏一体をなしながら、都市生活に必要な物的
空間を形態化・組織化する設計行為、またはその課程」となり、また「この思潮と
イデオロギーは、産業革命以降の都市膨張がもたらした都市生活の混乱と都市
機能の無秩序化とを救済するために、建築の目標を主導すべきものとして生まれ
た。これは近代都市計画が分析的方法に偏り、空間を相対として把握するのに成
功していないことに対する批判的立場と見ることもできる」といった説明もありま
す。
 また、同じように都市空間の問題を取り扱いながら、実は「都市計画」と「都市設
計」では若干のニュアンスの差があります。この関係を考えるには、次のような指
摘が参考になります。つまり「一般的にいえば都市空間の新たなる形成や組織
化に当って、要素となる空間の景の決定とその配分、および区域の設定が計画
の領域とするならば、その質を決め、相互の具体的位置関係と、形態、材質を与
えることが設計であるといえる」ということです。実際には「都市計画」と「都市設
計」との関係についてはいろいろと難しい議論もありますが、ここでは省略させて
いただきます。いずれにしても、お互いに密接な関係にあり、まさに表裏一体であ
ることだけは確かなことといえます。

 ころで、都市空間の質に深くかかわりながら、具体的な位置関係や形態の
決定に重心を置く「都市デザイン」の領域から博多部を眺めるとき、そこにはいくつ
かの重要なキーワードがあります。
 一つは、多様な要素をいかにまとめていくかということで、ここでは「混乱なき混
在」といっておきます。これは数年前、日本都市計画学会でも取り上げられたテー
マで、私は大変気に入っている標語です。都市空間には何らかの秩序が必要な
ことは言うまでもありません。しかし、だからといってここは住宅地、ここは商店
街、ここは業務地区、あるいは公園やレクリェーション地区といった具合に、あまり
に明快な形でゾーニングしてしまっていいものか。
 本来、都市とはさまざまな機能が複合的、重層的に混在しており、それが都市
の活気と魅力につながっているのではないでしょうか。博多部の場合、商業・業
務機能などの進出で居住空間が減少し、また伝統技能を継承する店や工場が消
失してきていますが、天神などに比べれば、まだこの混在の魅力を保っていると
いえます。職住近接による町の生活が残っているのです。この良さを今後どのよう
に維持し、発展させるかが大きな課題といえます。 ↓

 混在の魅力といえば、どうしてもアジアの諸都市の状況を思い浮かべざるを得ま
せん。現実には衛生面や防災の面で、確かに多くの問題を抱え込んでいるかもし
れません。しかし、あのゴチャゴチャした状況の中に、欧米の都市とは異なる活気
と魅力を感じます。博多部の場合も、近代化の大きな潮流に身をおきながらも、何
とか多様性を包含できる都市構造を構築できないものかと考えます。
 二つ目のキーワードは「都市空間の隙間」ということです。博多は古い歴史を持
っていますが、その長い歴史の課程で都市空間利用において非常に高密度な仕
組みを開発して来ました。連続する町家群はきわめて高度な集合化のシステムを
内包していました。
 同時にそれらは、快適で魅力ある外部空間をも創出してきました。各住戸の「土
間」や「中庭」から、家と家との間の「路地」、地区にまとまりをつけていく「通り」、
そして町のシンボルともなる「大通り」へと、それぞれを有機的につなげていく道空
間は、高密度の都市空間に軽やかな隙間を作ってきたともいえます。それらはさら
に地区内に多く立地する寺社の境内とも一体化していきます。この外部空間の段
階構成とネットワーク化、これは博多部の持つ貴重な環境資源であるといえます。
 現代都市のつまらなさのひとつに街路空間の単調さ、貧弱さが上げられます。
道路は単に人や車の交通路であるだけではなく人々の出会いの場であり、子ども
の遊び場であり、祭りの舞台でもあったはずです。それが建物の大型化や車社会
の進展で、落ち着いた路地空間が無くなったり、通りの賑わいや楽しさが失われ
つつあるのは残念でなりません。都市空間を占拠する建物群の善し悪しもさること
ながら、建物と建物の間に生まれる隙間にも、都市空間の魅力を生み出す秘密が
隠されていることに、私達はもっと注目する必要があると思われます。
 三つ目のキーワードは、それはまちづくりにおける「物語性」です。まちづくりに求
められる基本的用件としては利便性や安全性、快適性の確保などありますが、私
はこれに加えて「物語性」を重視したいのです。最近流行の言葉で言えば「場所
性」の重視ともいえるかもしれません。つまり、その場所が持つ独自の価値を引き
出し、関係者の共有財産として認め合う存在にすることです。
 博多部には貴重な歴史的遺産が多く残っています。中には重要な文化財として
の価値もあり、それらは地元の人々の誇りでもあるわけです。しかし一方では、た
とえ文化財的な価値としては認められていなくても、人々にとって忘れられないも
のや空間、あるいは情景があります。それは伝統的な町並みは寺社の大きな屋
根が見える風景かもしれません。子どもの頃よく遊んだ神社の境内や路地裏かも
しれません。あるいは夏の日差しを避ける一本の大きな樹木であったり、季節の
変わり目となる祭りの賑わいかもしれません。
 それらは一つ一つ取り上げても、さしたる環境要素ではないかもしれませんが、
そういったものが積み重なってくることで、相対としての環境には「物語性」が生ま
れてきます。それは人々の記憶の奥深くに定着し、わが町への愛着を深めていく
ことにつながると思われます。このような情感の世界に迫る領域は、これからの都
市デザインが取り組むべき重要な課題の一つといえますが、博多部はそれらを研
究する上で、多くの貴重な素材を提供してくれる絶好のフィールドといえます。 →

























 その他、環境の質にかかわるものとして「歴史的環境の保全・活用」「環境整備
に関する方法論」「成長・発展から安定・成熟へ」「ものの世界とこころの世界」な
ど、いろいろな問題が考えられますが、それらはこの後のスライドで具体的に事例
を見ながら説明したいと思います。・・・・・・スライド150枚を映写

 上、スライドを通して都市デザインのさまざまな側面を説明して来ましたが、
最後に若干の補足をしておきたいと思います。
 それは環境の質的向上と地域の活性化の関係です。これは、しばしば受ける質
問です。環境の質を高めることの大切さはわかったし、都市デザインへの積極的
な取り組みの重要性も理解できた。しからば、そうすることで町は元気になるの
か、あるいは経済力が無いところでは、質の問題まで食い込むのは所詮無理な
話ではないかといった内容の質問です。
 正直なところ、私はこのような質問に明快に答えることができません。むしろ環
境の質が高まれば、そのまま地域が活性化するといった過大な期待を持つことは
禁物だとさえ考えています。卑劣な例で言えば、停滞気味の商店街がアーケード
を改修し、カラー舗装を施せば、直ちに商売繁盛につながるかという問題がありま
す。ケースバイケースで一概には言えませんが、一般に商店街の停滞の原因は
複雑で、かつ構造的な問題を抱えていて、多くの場合、単にアーケードの改修や
カラー舗装だけでは抜本的な解決策にはならないと思われます。
 しかしながら、ここで強調しておきたいのです。私のごく限られた体験からではあ
りますが、環境の質的向上は、確かに直接的に地域の活性化につながることは
少ないといえます。しかし、直接金儲けにつながらないからといって、町並み景観
の整備や美しい風景を残していこうとする動きを支えないところでは、結局は経済
的活力は無論、文化的、社会的活力も失っていき、悲惨な状況に陥っていく例も
少なくありません。
 最近しばしば指摘されていますように、これからの地域の活性化は、バブル期
に各地で見られた安直なリゾート開発ではありませんが、特定の目玉商品を前面
に押し出すような「一発主義」ではなかなか成功しなくなってきています。じっくり
時間をかけてしかも「風が吹けば桶屋が儲かる」ように、廻りまわって利益が蓄積
されるような複合な方式を選択せざるを得なくなってきているといえます。環境の
質的向上も、長期的展望にたった場合に初めて地域の活性化につながると理解
したいものです。
 「人がまち(環境)をつくり、まち(環境)が人をつくる」と言われています。また一
方で、「まちづくりは人づくりから」とも言われています。すばらしい町は、すばらし
い人を育てます。そしてそこで育った人々は、素晴らしい町をつくる原動力になり
ます。この人と環境のダイナミズムを、我々は真剣に受け止めておきたいもので
す。

1994.10.29
九州芸術工科大学助教授 岡道也

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